生成AIも、最新の研究成果も、それ自体が価値を持つわけではありません。使う人の手に馴染み、目的を果たして、はじめて価値になります。
けれど新しい技術ほど、専門用語と抽象論に包まれて届きます。「すごいらしい」とは思う。でも、自分の仕事や暮らしとどうつながるのかが見えない。その距離が、多くの人から「試してみる」機会を奪っています。
Curio-cityは、最新の科学技術を、組織と個人それぞれの文脈に翻訳します。
翻訳とは、やさしく言い換えることではありません。相手が何を成し遂げたいのかを掴み、そこに届く形まで技術を作り直すことです。そのために、技術の中身を正確に理解したうえで、届け方を設計します。
私たちが掲げるワクワクは、目先の課題が片づいたときの手応えだけを指してはいません。
AIが人間の知能に追いつき、やがて追い越していく時代が、現実味を帯びてきました。速さ、正確さ、処理量。これまで人間の能力と呼ばれてきた多くの指標で、人間が優位に立てる領域は急速に減っていきます。
そのとき、人間には何が残るのか。
「なぜだろう」と立ち止まること。答えの出ない問いを面白がること。効率とは無関係に、ただ知りたいと思うこと。これらは誰かに最適化を委ねられるものではありません。委ねた瞬間に、意味そのものが失われてしまうからです。
技術が進むほど、人はワクワクを手放してはいけない。私たちが翻訳という手段にこだわるのは、技術を使いこなすためであると同時に、技術に自分自身を明け渡さないためでもあります。
社名の city を、私たちはあえて「街」とは訳しません。
効率と規模を競う都市の論理とは別のところに、人が集まるかたちがあるはずだと考えているからです。大きくなくていい。中心がなくてもいい。同じものを面白がれる人が、ゆるやかにつながっている。そういう集合体を、私たちは city と呼んでいます。
主宰するコミュニティも、書く記事も、届ける授業も、その city をつくる試みとして続けています。